序章 占いって何をしているのか
なぜ人は暦を作ったのか。日を選ぶ理由を、暦の本はこう書いている
この記事で分かること
- 日を選ぶ理由を、暦の本自身が「天を敬うため」と書いていること
- 暦には測る層と、意味を置く層の2つがあり、出どころが違うこと
- 暦の本が、禍福で脅す言い方を自分で否定していること
「なんで、わざわざ日を選ぶんですか」
これも、占いを学びはじめると、たいてい出てくる問いです。よい日を選べば得をする。私も最初はそう思っていました。
ところが、暦を作った側の本を開くと、まったく違う答えが書いてあります。
日を選ぶのは「天を敬うため」だと書いてある
『協紀弁方書』という、暦の吉凶をまとめた大きな本があります。私の写しの表紙には「欽定」とあります。成立した年や、編まれた経緯までは、私は確かめていません。日の見方を書くときに、私がよく開く本です。その書の中に、こういう問いがあります。
舉事無細大必擇其日辰義歟曰敬天也…示不敢專以尊天也
大小を問わず、事を起こすときに日を選ぶのはなぜか。答えは「天を敬うためだ」。
「天を敬う」と言われても、すぐには分からないと思います。私の読みでは、日そのものに力があるから選ぶ、という話ではありません。人の力の及ばないものが先にあって、こちらはそれに合わせる側だ。そういう構えを、日を選ぶという行いで示している。そう読むと、次はこう続くように見えます。
当たるから、ではありません。得をするから、でもありません。敬うため、と書いてあります。
同じ段の後半には、こう続きます。
天地神祗之所向則順之所忌則避之…凡以敬天雲爾
向かうところには順い、忌むところは避ける。すべては天を敬うためである。避ける・選ぶという行いの位置づけが、ここではっきりしています。
観察が先で、記号は後
では、暦の道具立ては、何を説明するためのものだったのでしょうか。『五行大義』という本に、干支の由来が書かれています。こちらは五行の考え方をまとめた本で、私は干支や五行を扱うときに開きます。この本では、五行を水・火・木・金・土の五つとして扱い、そこから暦や干支を説明していきます。数え方も本の中に書かれていて、「一に水、二に火、三に木、四に金、五に土」と並べられています。
支干者。因五行而立之。昔軒轅之時。大撓之所制也…始作甲乙以名日。謂之幹。作子丑以名月。謂之支
日に名前をつけるために甲乙を作り、月に名前をつけるために子丑を作った。用途から説明しています。占うために作った、とは書いていません。
ただし、「昔、軒轅という帝の時代に、大撓という人が作った」という、誰がいつ作ったかの部分は、この本に書き残された言い伝えです。確かめられた出来事ではなく、そう伝わってきた話。私はそこまでで受け取っています。
八卦についても、同じ本が順序を書いています。
古者庖羲氏之王天下也。仰則觀象於天。俯則觀法於地。觀鳥獸之文。與地之宜…於是始作八卦
空を見上げ、地を見下ろし、鳥や獣のありよう、土地のありようを観て、そのうえで八卦を作った。
観察が先で、記号が後。私はこの順序を、いちばん大事なところだと思っています。逆にすると、記号のほうが先にあって、そこから世界が決まっている、という話に化けてしまうからです。
ここで見たのは、八卦と干支の話です。暦そのものについては、まだ何も引いていません。暦のほうは次の節で見ます。
暦には、2つの層がある
ここまでを整理すると、暦には2つの層があることが見えてきます。
1つめは、天の動きを測って刻む層。暦そのものです。
司天之職首重氣候推畫夜米短以辦寒暑之進退察經緯曠合以識申星之推移皆所川奉天而為協紀之本
暦を司る役所の仕事の第一は、気候を測ること。寒さと暑さの進み具合を見分けるために、昼と夜の長さを測る。星の巡りを見て、その移り変わりを知る。そしてそれは全部、天を奉じるためであり、暦を編む土台なのだ、と続きます。
ここで第1題の答えと繋がります。日を選ぶ理由が「天を敬うため」だったように、暦を作る仕事そのものも「天を奉じるため」と書かれています。
2つめは、刻んだ日に意味を置く層。日を選ぶ方法が、ここに入ります。
選擇神煞古有建除堪輿叢辰諸家
日を選ぶ流派がいくつもあった、という編者の整理です。
大事なのは、2つめが1つめとは別の層だということです。そして私は、編者がこの2つを分けて書いていると読んでいます。
暦の本が、脅す言い方を否定している
ここが、この題のいちばんの山です。同じ編者が、こう書いています。
如曰若是則福不若是則禍則術士之曲説而非其本原也
こうすれば福がある、こうしなければ禍がある。そういう言い方は「術士の曲説」であって、本来の姿ではない。
暦の吉凶をまとめた本が、その中で、禍福で脅す言い方を否定しています。
ただ、この編者は「だから暦なんて無意味だ」とも言っていません。すぐ後に、こう続けます。
王充論衡闢之不遺餘力則又儒士拘迂而未見大義
王充という人の本が、これを力のかぎり批判した。けれど、それもまた学者のこだわりであって、大きな意味を見ていない。そう書いています。
脅す言い方も退ける。全部を切り捨てる言い方も退ける。私は、これを真ん中に立つ書き方だと読んでいます。
同じ段には、引用としてこういう一節も出てきます。
或問時羣忌曰此天地之數也非吉凶所從生也
日々の忌みごとは天地の数。めぐりの仕組みであって、吉凶がそこから生まれるのではない。
こちらは編者自身の言葉ではなく、編者が引いた他の人の説です。私はこういうとき、引用の頭に「誰が言ったか」を書き足してから読み返します。そうしないと、あとで「協紀弁方書にこう書いてあった」と、引いた人の説まで一緒に覚えてしまうからです。
では、その真ん中とはどこか。段はこう締められます。
夫知其為天地之數則固修身者所當順也知其非吉凶所從生則一切拘牽謬悠之説具廢而所為順之避之者亦必有道矣
それが天地のめぐりの仕組みだと分かれば、身を修める者は、それに順うべきものだ。そして、吉凶がそこから生まれるのではないと分かれば、こじつけの説は全部なくなり、順う・避けるという行いにも、ちゃんと筋道が立つ。
切り捨てるのではなく、仕組みだと分かったうえで、それでも合わせる。そこに筋道が立つ、と言っています。
「仕組みだと分かったのに、なぜ合わせるのか」と思うかもしれません。編者の書き方は、こういうことだと私は読んでいます。暦のめぐりに型があるなら、逆らっても仕方がない。それなら、めぐりに合わせて動くほうが理にかなう。吉凶が日から生まれるわけではない、と編者は書いています。そのうえで、編者は日を見ることをやめません。私には、それが「筋道が立つ」の中身に見えます。
そして凡例には、こうも書かれています。
其義不盡傳起例尤多襲誤今頗為蒐輯擇其近理而雅馴者加之解釋正其舛誤
その意味は全部は伝わっておらず、起こし方には受け売りの誤りが多い。だから誤りを正す。編者は、暦に書き添えられてきたその日の意味づけについて、伝わってきたものの多くは受け売りの誤りだと書いたうえで、それでも捨てずに、理に近く穏当なものを選び直すという形で、この本を編んでいます。
たとえば、日を選んでくれと言われたら
ここも架空の話です。これから占いを仕事にするなら、日取りの相談は来ると思っておいたほうがいい、と私は考えています。
お店を開く日を決めたい、という人が来たとします。候補は2つ。片方は仏滅で、片方は大安。本人は「仏滅は避けたい」と言っている。
ここで「仏滅にすると失敗しますよ」と言うのが、いちばん簡単です。相手が納得しやすい言い方に見えますし、こちらも考えなくて済みます。
でもそれは、編者が「術士の曲説」と呼んだ言い方そのものです。暦の吉凶をまとめた本の中で、名指しで退けられている言い方を、私が使うことになります。
私なら、こう分けると思います。仏滅を避けたい理由があなた自身の気持ちなら、避けていい。来てほしいお客さんが気にしていると分かっているなら、それも理由になる。ただ、私が「仏滅だから失敗する」と言ったわけではない。そこだけは、はっきりさせておきます。
日を選ぶこと自体は、この本の中にもあります。ただし理由は「天を敬うため」でした。脅すためではありません。
では、どんな言い方をするのか。私はこう言います。「この日は、暦の上ではこういう日です」。それだけです。「だから成功します」も「だから避けなさい」も付けません。そのうえで、相手が何を気にしているのかを一緒に見ます。暦は材料で、決めるのはその人だからです。
まとめ
日を選ぶのは、当たるからではなく、天を敬うためだと書いてありました。
暦を司る役所の仕事は、天の動きを測ることが土台だと書かれていました。観察が先で、記号は後です。
そのうえに、日に意味を置く層があります。そして編者は、「こうすれば福、こうしなければ禍」という言い方を、本の中で否定しています。
これから占いを学ぶ人にとって、ここは大事なところだと思います。脅す言い方は、古い本の側から見ても、本来の姿ではありませんでした。
次の題では、暦の中身に入っていきます。
要点まとめ
- 日を選ぶのは当たるためではなく、天を敬うためだと編者が書いている
- 干支は日と月に名前をつけるために作られた道具だった
- 「こうすれば福、こうしなければ禍」は術士の曲説だ、と暦の本が書いている
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