序章 占いって何をしているのか
占いの2つの入口。生まれで見る側と、その時で見る側は何が違うのか
この記事で分かること
- 2つの入口が、それぞれ何を見ているのかを分けて読めるようになること
- 生まれで見る本が「同じ生まれでも同じにならない」と自分で問い、自分で答えていること
- 日を見る本も「一つの並べ方だけでは表れない」と自分の限界を書いていること
生まれで見るのと、その日で見るのは、何が違うんですか。
私も、最初に教わったとき、同じことを聞きました。
前の題で、占いには入口が2つあると書きました。片方はその人の生まれのほうから見て、もう片方はこれから来る日のほうから見ます。呼び名は、いまは知らなくてかまいません。ただ、この2つは見ているものがそもそも違っていて、そこを分けないまま両方の本を読むと、同じことを別の言い方で言っているように見えたり、逆に、言っていることが食い違っているように見えたりします。
たとえるなら、片方は手元にある持ち物を数えていて、もう片方はこれから通る道を眺めている。同じ人を前にしていても、目の向きが違います。
長いあいだ、私はこの2つを1つの話だと思っていました。どちらも占いと呼ばれるからです。分けて考えるようになったのは、本を読んでいるうちに、片方は持ち物のほうを、もう片方は道のほうを見ているのだと、だんだん分かってきてからでした。
この題では、その2つが何を見ているのかを分けます。
先に、ひとつお断りしておきます。どちらが優れているという話は、この先に出てきません。手元にある本を全部あたっても、2つを並べて優劣をつけたものが見当たらないからです。比べたくなる気持ちは私にもありますが、本がそう言っていない以上、私が代わりにそれを言うわけにはいかないと思っています。
生まれで見る側は「動かせないもの」を見る
『三命通會』という本があります。生まれた年・月・日・時刻をもとに、人を読む側の本です。その冒頭近くに、こういう一行があります。
命禀有生之初誠哉是言也
その人の受け取ったものは、生まれた最初のところで決まっている。まことに、そのとおりだ。本はそう言っています。
ここで気をつけたいことがあります。『三命通會』は「決まっている」とは書いていますが、「だから変えられない」と書いてあるのを、私は見ていません。むしろ後のほうで、この本は自分でこの一行を揺さぶりにかかります。それは節を改めて書きます。
いま押さえておきたいのは、見ている対象のほうです。生まれた年、生まれた月、生まれた日、生まれた時刻。どれも、あとから選び直せません。もう受け取ってしまったものです。
持ち物を数える、というたとえに戻ります。数えている手元の品は、いま増やしたり減らしたりする話ではありません。まず、何を持っているのかを知る。この入口が見ているのは、そこです。
その時で見る側は「これから選ぶもの」を見る
もう片方の入口は、日のほうを見ます。『協紀弁方書』という、暦の吉凶をまとめた本があります。前の題でも開いた本です。その中に、こういう一節があります。
天地神祗之所向則順之所忌則避之
天地の神々が向かうほうには順い、忌むほうは避ける。そう述べられています。
順う、避ける。どちらも、これからする動きの言葉です。前の題で書いたとおり、これは「よい日を選べば得をする」という話ではありません。ここで見てほしいのは、得か損かではなく、対象のほうです。
順うか避けるかを決められるのは、まだしていないことだけです。もう起きたことには、順いようがありません。この入口が見ているのは、これから選ぶ側にあるものです。
道を眺める、というたとえのほうです。どの道を通るかは、まだ手の中にあります。
生まれの本が、自分で立てた問い
ここからが、この題の芯です。
生まれで見る側の本は、「決まっている」と書いたあと、そのすぐ先で自分に問いを投げます。同じ『三命通會』の、同じ段です。
五行八字相同而富貴貧賤壽夭之不一其故何也
生まれの組み合わせが同じなのに、豊かさも、貧しさも、長く生きるかどうかも、同じにならない。それはなぜか。
私はこの一行を読んだとき、しばらく手が止まりました。これは、外から投げられた批判ではありません。生まれで見る本が、自分でこの問いを立てているのです。
ここで急がないでほしいことがあります。この問いを見て、「ほら、当たらないと書いてある」と読みたくなるかもしれません。私も一度そう読みかけました。けれど、それは途中で本を閉じる読み方です。本は問いを立てたあと、自分で答えを書いています。問いだけを取り出して並べると、本が言っていないことを本に言わせることになります。
次の節で、その答えを見ます。
その本が出した答え
答えは、同じ段の中に続いて書かれています。まず、こう述べられます。
雖然修為在人人定勝天
とはいえ、おこないは人にある。人が定まれば天に勝つ。本文の中で、そう述べられています。
ここは、書き方に気をつけます。この句には、「古くからこう言われる」といった断りがついていません。ですから、これが誰の言葉なのかは、私の手元の写しからは決められません。私に言えるのは、本文の中でそう述べられている、というところまでです。
続けて、本を編んだ人が、自分の言葉でまとめます。
由前言之雖係於命亦在於人之積與不積耳
前に述べたところから言えば、生まれに関わるとはいえ、また人が積むか積まないかにもある。私の手元の写しでは、こちらにも引用の断りがありません。本文の中で、そうまとめられている。私に言えるのは、そこまでです。
そして、そのまとめのあとに、本はほかの書の言葉を引きます。
積善之家必有餘慶積不善之家必有餘殃
善いおこないを積んだ家には、あとあとまでよろこびが残る。善くないおこないを積んだ家には、あとあとまでわざわいが残る。この2つは対になっていて、片方だけを取り出すと、本の言っていることが半分になります。こちらは、本が『易』の言葉として引いています。原文に、そう断ってあります。
ですから、これは『三命通會』の主張ではありません。引いてきた言葉です。そして私の主張でもありません。私にできるのは、本がそう引いている、と伝えることだけです。善いことをすれば報われる、と私が約束する話ではありません。
3つの言葉が並んでいますが、出どころは3通りです。誰の言葉かは、混ぜないでおきます。
その時で見る側も、自分で限界を書いている
では、日を見る側はどうか。こちらも、自分の本の中に限界を書いています。
夫止以建除論吉凶未甚彰顯著明也此建則彼除十二辰自然輪轉耳迨夫㕘以萬事錯以二氣五行然後吉凶生焉特其吉凶之大小劑量則生於建除
ある一つの並べ方だけで吉凶を論じても、はっきりとは表れない。ほかのいろいろと合わせて、はじめて吉凶が生まれる。ただし、その吉凶の大小の度合いのほうは、その並べ方から生まれる。日を見る側の本が、自分の道具の効きに線を引いている一節です。線を引いていますが、捨ててはいません。効く範囲を、度合いのほうに置き直しています。
同じ段には、こうも書かれています。
大抵凡日吉神多則吉凶神多則凶又各視其神之宜忌以為趨避亦未可以執一而論也
おおよそ、その日によいものが多ければよく、わるいものが多ければわるい。それぞれの向き不向きを見て、寄るか避けるかを決める。ただし、一つに決めて論じることはできない。最後の一句が、この節でいちばん大事なところです。よい悪いを数えたうえで、なお「一つに決められない」と書いてあります。こちらは、編んだ人の言葉ではありません。『考原』という別の書から引かれた一節です。ここも、誰の言葉かを分けておきます。
読み比べると、面白いことに気づきます。生まれの本は「同じ生まれでも同じにならない」と書き、日の本は「一つの並べ方だけでは表れない」と書いている。どちらも、自分の側の限界を、自分の本の中に置いているのです。
たとえば、こんな人がいたとします
ここからは、私が作った話です。実在の人ではありません。
同じ日に生まれた2人がいたとします。2人とも18歳で、進む道を決めかねています。片方は専門学校に行こうか迷っていて、学費は2年で200万円ほど。もう片方は、働きながら独学でいこうかと考えています。
生まれで見る入口は、この2人を同じ材料で読みます。生まれた年も月も日も同じだからです。ところが節3で見たとおり、生まれの本自身が「同じでも同じにならない」と書いています。ですから、ここで出てくるのは「2人はこうなる」ではありません。せいぜい、「2人が受け取っているものは、こういう形をしている」までです。
日で見る入口は、別のところを見ます。専門学校の申し込みをいつ出すか、親にいつ相談するか。まだしていないことのほうです。
片方は3週間 迷って、申し込みを出しました。もう片方は迷ったまま、その年は動きませんでした。私に言えるのは、2人が違う道を選んだ、というところまでです。どちらが正しかったかは、私には分かりません。占いが道を作ったとも、私は書きません。
この題のまとめ
2つの入口は、見ているものが違います。片方は、もう受け取ってしまったもの。もう片方は、これから選ぶもの。
そして、どちらの本も、自分の側の限界を自分の本の中に書いていました。生まれの本は「同じ生まれでも同じにならない」と問い、日の本は「一つの並べ方だけでは表れない」と断っています。
私がこの2つを分けて読むようになったのは、どちらが正しいかを決めたかったからではありません。分けないと、それぞれの本が何に線を引いているのかが見えなくなるからです。
次の題では、日を見る側でいちばんよく見かける「六曜」を取り上げます。名前は知っていても、どこから来たのかは意外と書かれていない。そういう話です。
要点まとめ
- 生まれで見る側は、あとから選び直せないものを見ている
- その時で見る側は、まだしていないことだけを見ている
- 『三命通會』は同じ生まれでも同じにならないと自分で問い、答えを3つの出どころに分けて書いている
- 『協紀弁方書』は一つの並べ方だけでは吉凶は表れないと断っている
- どちらの入口も、自分の側の限界を自分の本の中に書いている
運営者情報
かい先生は、暦と占術を分かりやすく伝える案内役です。運営:RPG LLC。